沿革(昭和前半)
東京屋外広告協会の歩み
昭和6年
交通広告の公式入札制度発足に伴い、競争等の整備を図る関係から、馬場聰吉氏(当協会初代副会長)が中心となって「日本広告協会」を設立(屋外という名前はおかしいということから日本広告協会とした)
昭和12年
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8.上海事件勃発により日本広告協会全国大会(小樽)を最後にたちぎれとなった
昭和22年
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6.21戦後の荒廃した首都東京の美化を図るため、東京都建設局都市計画局長 石川栄燿氏、アーミーカレッジ前広報部長ソレスト・B・トーマス氏及び広告業者50名出席のもとに「屋外広告の改善を図り、公共の美化増進に資する」をテーマに懇談会が開催された
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7.16「東京屋外広告研究会」発足のための世話人会において、発起人の選任と規約案を作成
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9.25「東京屋外広告研究会」発足。日本工業倶楽部において創立発表会が行われ、会長に高橋龍太郎東京商工会議 所会頭が就任。事務局を東京商工会議所におき、専務理事に前田賢次業務部長が就任
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12.19「日本屋外広告協会」と改称
昭和23年
機関紙「情報」第1号発行
昭和24年
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6.8屋外広告広告物法に基づく条例設定対策委員会設置
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6.28「広告税委員会」設置
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7.5道路占用料の値上げに関する陳情書を提出
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9.1「屋外広告物法」公布。この法律で国家事務が都道府県の管掌に移った
昭和25年
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2.7堀田橾二郎(弘告社代表社員)、斎藤岩次郎(折込広告社社長)、白川虔三(資生堂取締役)が広告物審議会委員に就任
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9.23広告税廃止期成委員会を設置
昭和26年
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2.20広告税廃止を国会に陳情
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11.15道路占用の広告看板規制緩和を東京都知事に陳情
昭和27年
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7.1広告税廃止される。機関紙「情報」34号で休刊
昭和28年
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3.1東京都屋外広告物条例改正
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6.15機関紙「屋外広告報」を35号として発行
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6.23「ポスター整理委員会」と「屋外広告向上委員会」を設置
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6.31夜間アドバルーン掲揚実施
昭和29年
首都美化運動推進協議会が開催され、広告塔、電柱を利用する広告物の企画の再確認。
電柱についての企画他ポスターの清掃に協力することを決定
昭和30年
貯蓄金融運営委員会を「貯蓄金融部」と定め規約を制定
昭和32年
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2.23八丈島産業視察会
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7.21北海道の産業視察会
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10.22東京都屋外広告物条例改正
昭和33年
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3.31「屋外広告報」第59号で休刊
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8.28日本屋外広告協会を「東京屋外広告協会」と改称
昭和34年
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3.9九州地区産業視察会
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12.23屋外広告物法の改正及び運用について建設大臣に陳情
昭和35年
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5.カナダ・トロントで開催の「第一回屋外広告国際会議」に日本代表団を派遣
昭和36年
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2.11東京屋外広告協会の法人化が認可され「社団法人東京屋外広告協会」となる。初代会長に司忠 東京商工会議所副会頭・株式会社丸善社長が就任
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3.25機関紙「屋外会報」を発行
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9.6協会のロゴマークを制定
昭和37年
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2.15臨時総会(熱海)で「屋外広告憲章」を制定
- 屋外広告は、社会道義を昂揚し、大衆良俗を助長するものであること
- 屋外広告は、真実を語り、且つ責任を負い、消費者の健全なる生活を営むに役立つものであること
- 屋外広告は、環境の美化に役立ち、大衆に好感を与えるものであること
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3.6「屋外会報」を14号から活版印刷とする
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3.17四国地区産業視察会
昭和38年
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1.1「企業経営研究委員会」設置
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3.13オリンピック東京大会観覧外客接遇打合会に亀田副会長、遠藤常任理事出席打合
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5.23東北地区産業視察会
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11.25創立15周年祝賀会開催
昭和39年
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4.4北陸地区産業視察会
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10.8高速道路及びオリンピック関連道路周辺の広告見学会
昭和40年
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1.「屋外広告の使命と効果」座談会
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12.7屋外広告業法立法促進全国大会に全国業者が参加